バイナリーオプションは、ある日だれかが「こういうものを作ろう」と発明した商品ではありません。概念が生まれた場所と、商品として一般の方の手に届いた場所は異なり、そのあいだには数十年の時間があります。
タイアンレポートの連載「バイナリーオプションの旅」第1話は、その誕生の前半を三つの停留所でたどる回です。
▶ 本編を読む:バイナリーオプションの誕生(前編)
今回の回、どうご覧になりましたか?
第1話の旅を、三つのポイントで振り返ります。
1. 生まれたのは取引所ではなく、論文のなかだった
バイナリーオプションの先祖は、「決められた価格で買う、または売ることができる権利」を売買するオプションです。伝統的なオプションは価格が有利に動くほど利益が大きくなりますが、バイナリーオプションは「満期に基準線を超えたかどうか」だけを見ます。
この「現金か、無か(cash-or-nothing)」という考え方は、1973年に打ち立てられたオプション価格決定理論のなかにすでに含まれていました。そこに名前を与え、価格の公式を体系的に示したのが、1991年のマーク・ルビンシュタインとエリック・ライナーの論考です。
2. 最初は銀行と機関投資家だけの道具だった
1990年代から2000年代初頭にかけて、バイナリーオプションは主に店頭取引(OTC)でやり取りされていました。銀行やヘッジファンドがリスクを相殺するためなどに使う、オーダーメイドの契約です。
結果がはっきり定まる構造は、抱えたリスクを計算するうえで便利でした。ただしそれは扉の内側の話で、一般の方が入れる市場ではありませんでした。
3. 一般への通路を開いたのは、1974年のロンドン
個人が金を直接売買することが事実上閉ざされていた当時のイギリスで、スチュアート・ウィーラーは、金を持たずに価格の動きだけに賭けられる仕組みを考え、IGインデックス(今日のIGグループ)を設立しました。
スプレッドベッティングが根づいたイギリスでは、のちにバイナリーベッティングの形の商品が個人向けに提供されるようになります。これが、バイナリーオプションが一般に近づいたヨーロッパ側の通路でした。
編集部より
第1話を読むと、バイナリーオプションの「単純さ」がどこから来たのかが見えてきます。結果が二つにしか分かれない構造は、もともと専門家がリスクを正確に計算するための部品として重宝されていました。
同じ単純さが一般の方の手に届いたとき、何が起きたのか。連載はこのあと、各国がこの商品をどう扱ったのかを追っていきます。
▶ 損益構造の図や用語ノートは本編で:バイナリーオプションの誕生(前編)
続く第2話では、カリフォルニアの小口投資家向け取引所と、2008年にバイナリーオプションが制度の内側へ入った分水嶺をたどります。
▶ バイナリーオプションの誕生(後編)を読む
※本記事は歴史・教育を目的とした情報提供であり、特定の商品の投資勧誘や収益の保証ではありません。